マインドフルネスは心の旅路

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私がマインドフルを本格的に学んで実践し始めてから7ヶ月が経とうとしています。

この7ヶ月間、自分の心と体と向き合ってみて「マインドフルネスは心の旅路」だな、としみじみ感じています。

目次

理想の自分

私は幼少期から「ノンビリとした自分らしさ」を両親から否定され、「ノロマで気が利かないのは悪い子」とされて育ちました。

両親の期待に応えるように常に気配りして良い子であろうとしてきたし、学校や社会で「望まれる姿」をいつも探していました。

  • どうすれば受け入れてもらえるか?
  • どうすれば認めてもらえるか?
  • どうすれば賞賛されるか?
  • どうすれば成功するか?
  • どうすれば理想の人物になれるのか?

ありのままの自分は悪いものだから、常に「社会でうまく生きるにはどうしたら良いか?」と考え、理想の自分像を描いて、それに近づけるように努力しました。

理想の自分になるために、成功者の本を読んだり、ロールモデルを探してその人のようになろうとしたり、知識識を溜め込んで雑学王になろうとしたり、外見磨きに励んだり、本音ではなく損得で物事を選んで決断するようになりました。

そのうち「努力する自分」が誇りだと思うようになりました。経歴や学歴、自分が積みあげてきた正しさを大切に握りしめて、「自分は正しい」と思い込むために必死でした。その正しさを、社会で戦う切り札として持ち歩いていました。

常に闘っていたのです。

馬鹿にされないか?攻撃されないか?見下されないか?

人間関係では常に不安があって、「この人は自分より格下」「この人は自部より格上」と人を品定めしたり比較をしたりして、自分がどれだけ価値がある人間かを確かめたいと切実に思っていました。

自分磨きを怠らなければ、自分はカーストの上位にいられると信じていました。そのカーストも自分で創った幻想だったのですが・・・

実在しない架空のカーストで上位に居続けることを目指して、常に高い目標を掲げて達成するようになりました。

孤独な闘いを続けているような状態だったと思います。

けれどもどんなに目標を高く掲げて努力しても、上には上がいて、完璧を目指そうとしても完璧にはなれず苦しみました。

自分を高めながら終わりないマラソンを走り続けるような日々は、決して掴めない霧を掴もうとするような苦しい日々でした。

自分さがしの始まり

良き人であろう、優秀であろう、誠実でいよう・・・最大限の努力を続けているのに、どうしてこんなに苦しいの?

4年ほど前、36歳くらいのときくらいだったでしょうか。

「自分がわからない」と絶望するようになりました。

そして「私は私でありたい」と願うようになりましたが、その方法がわかりません。

私らしさって何?ありのままでいるって、どうやってやるの?

「ありのままの私」は幼い頃から良くないものとして否定されてきた。

良くないものを出しても良いの?

叱られたり、批判されたり、嫌われてしまうかもそれない。

ゆみ

ありのままの私は怒りに満ち溢れていて、人間関係や環境すべてに不満があって、世の中を斜めから見るような皮肉屋。

そんな自分になったら100%嫌われてしまう。そんな自分、大嫌いだし、人に見せられない!!

マインドフルネスは観察と気づき

マインドフルネスは自分の心と体を観察するシンプルな作業の繰り返しです。

  • どんなことに不安を感じる?
  • どんなことに喜びを感じる?
  • 悲しみの原因はなに?
  • 寂しいのはなぜ?
  • なぜ許せない気持ちがあるの?
  • どんなときに体が緊張する?
  • どうして肩や首に力が入るの?
  • どんな時にワクワクして体がホッとする?

こんな風に、観察したり気づきを重ねていきます。

たとえば

ムカムカッとした時に「ムカムカしている自分」を良い悪いの判断をせずに観察してみます

「ムカムカしている自分」を「こんなことで腹が立つなんてダメな人間だ」と自分を責めたり、「私を不愉快にさせた原因は何だ?」と原因を探す必要はありません。

「お腹が空いたな」と思うときに、いちいち、「こんな時にお腹が空くなんて努力が足りない」と思いますか?

思いませんよね!

「ムカムカするな」は「お腹が空いたな」と同じです。

ただ、「そういう感じがある」という感覚がある。

その感覚にABCDの判定を付けたり、自分の性格と結び付て自分を責めたりするから、自己肯定感が下がったり憂鬱な気持ちになったりします

体の感覚や感情は誰もが持っているはずですし、感じる権利があります。

でも、幼いころから「そんなことではダメ」と言われ続けて抑えられることが多いと「感情をコントロールできないのは良くない」と感じたり、ヒステリックな親のもとで育つと「感情をコントロールできない親のようになりたくない」と自分を責めてしまいがちですよね。

「そんなことで泣くな」と言われたり、歩き疲れて足が痛くても「ガマンが足りない」と言われたり。

自分だけの感覚があっても「変なの、変わっているね」と言われたり。

誰かから言われた何気ない一言などの積み重ねが、感情や体の感覚を否定したり抑制したりすることに繋がっているんですよね…

自分とは誰かを、知る

自分の体や心の状態を観察していくと、自分がどんな時に、どんな状態になるのかがわかります

それが、本来の「ありのままの自分」です。

性格の良し悪しではありません。

そこに正しさも誤りもありません。

あることを悲しいと思うんだったら、それがあなたの気持ちです。

あることに喜んだら、それがあなたが大切したいことです。それが、事実で、あなたという人間なんです。

理想の自分を演じ続けると苦しいですね。

その苦しさの根底には必ず「性格の悪い、心が醜い自分」がいます。

世界を歪んで見る目を持つ悪魔みたいな自分です。だから「そんな自分は見せられない」と思ってしまいます。

でもその更に奥には、自分を受け入れてあげられなかった、「悲しい自分」がいて、その存在はとっても純粋なものです。

ゆみ

理想や緊張感、義務感を手放すと、だらしなくて優しくて楽しい愛すべき自分が出てきます。

どんなことに幸せを感じるか知っている、ほんとうの自分です。

また、「自分はこんな人間である」とカッチリ定義する必要もありません。

経験や時間の流れの中で私たちの内面はどんどん変化していきます。

「今この瞬間」に自分がどう感じるかを知ること。それで良いんです。

それが「自分とは誰かを知る」ということです。

自分とは誰かを知りなさい。それだけが全てだから。

「”それ”は在る」ヘルメス・J・シャンブ p.27 

人生とは、自分とは何かを知る作業の繰り返し。

どんなに栄光を手にしても満たされないのは自分のことがよくわかっていないから。

不足感があるから。

自分らしくないものをどんどん手放して、自分の直感や感覚に正直になればなるほど「自分」がわかる。

「生きている」とい単純な事実と、大きな喜びを感じられる。

それが、自分とは誰かを知り、生きるということ。

そう私は感じています。

ゆみ

マインドフルネスは心の旅路です。

すっかり忘れていた、本来の自分の直感や素直な気持ちを思い出す旅です。

あなたの心の感覚の世界は、誰にも邪魔できないあなただけの聖域です。

それに気づく素晴らしさを、あなたも体験してみませんか。

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