奇跡の脳-脳科学者の脳が壊れたとき- 脳科学から考える瞑想

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奇跡の脳-脳科学者の脳が壊れたとき-という本をご存じですか?

アメリカのハーバード大学で脳神経科学専門家だったジル・ボルト・テイラーが、脳卒中に襲われた時の感覚の変化について詳細にまとめられています。

ゆみ

この本を読んだ時に大きな衝撃を受けました。

なぜなら、私が瞑想の『ゾーン』で感じた静けさは正しかったんだ!と確信できたからです。

本書を引用しつつ、私の瞑想体験と併せてご紹介します。

目次

左脳損傷により知った右脳の機能

自動思考が消える

著者のテイラー博士は37歳のある朝、体の違和感で脳卒中を発症したことに気づきました。

左脳の脳出血だったのですが、彼女は『脳のおしゃべり』である自動思考が無いことに気づきました。

左脳の言語中枢を経由して、心はいつも、自分自身に話しかけています。これは私が「脳のおしゃべり」と呼んでいる現象です。家へ帰る途中、バナナを買うのを思い出させてくれるのも、この声なのです。

(中略)

脳の中に静寂が訪れ、絶え間ないおしゃべりからひととき解放されたことが嬉しかった。あのおしゃべりは、今となっては騒がしい外界の些細なことでしかない。

(中略)

右脳は左脳の支配から解放されています。知覚は自由になり、意識は、右脳の静けさを表現できるように変わっていきました。

奇跡の脳-脳科学者の脳が壊れたとき- ジル・ボルト・テイラー

自動思考とは、何かあったときに瞬間的に浮かぶ考えやイメージのことです。

『あの人、今頃何しているんだろう。』と思いめぐらせたり、視線の先にスズメが飛んでいるのが見えて『最近スズメあまり見なくなったな。』そして『子供の頃といえば・・・』というように、『〇〇といえば』という連想ゲームを繰り返している状態です。

自動思考はアイディアを練り直したり、記憶を辿ったり、自分の行動を反省したりする時に役に立ちます。

しかし、過去、未来、現在、と思考が行ったり来たり頻繁にすることで、嫌なことを思い出したり自信を無くしたり、歪んだ認知をしたりして、私たちを苦しめる原因にもなります。

同僚に言われてイヤだったことを、無意識に何回も脳内再生しちゃうのよね!

ゆみ

わかります・・・。

瞑想では、自動思考を手放していくことが重要です。

私が『ゾーン』と呼んでいるその空間は本当に優しい静けさなのです。

そして、ジルが言うように、その脳の静けさは、脳内のおしゃべりが些細なことでしかない、と気づかせてくれるのです。

ゆみ

私が瞑想の素晴らしいと思うところは、そこなんです。

私たちは毎日、ストレスの中で生きています。スマホやネットワークを駆使する慌ただしさ、要求される人物像やパフォーマンスの質の高さ、騒音や光の刺激、義務、責任、人間関係のあれやこれや。

考えるべきこと、決断し選択すべきことが膨大にあり、その全てが重要な任務のように思えますよね。

楽しいことですら、「これにするか、あれにするか」で悩みます。しかし、大切なのは、それらは、本質的には些細なことでしかない、ということなんです。

私たちは全てのことに意味を見出そうとします。

全てのことが重要であるかのように。

文学や技術、科学を発達させてきたのが人間の特性ですが、あまりにも左脳に偏り過ぎて、非常に生きづらくなっているのが現代社会だと思います。

世界と自分の境界線が消える

どこで自分が始まって終わっているのか、というからだの境界すらはっきりわからない。なんとも奇妙な感覚。からだが、個体ではなく流体であるかのような感じ。

奇跡の脳-脳科学者の脳が壊れたとき- ジル・ボルト・テイラー

著者のジルはシャワー室に移動した時に、このように感じたそうです。

ゆみ

これは、私が瞑想をしていて『ゾーン』に入ったな、と感じた時に体験する感覚とそっくりなのです。

瞑想中に『ゾーン』に入ると、皮膚があるはずなのに顔と外の空気との境界線がわからない状態になり、私という容器(入れ物)のどこが底でどこが天井かわからなくなります。

そうすると、自分が何者かがわからなくなり、最終的に『何者でもない』という感覚に陥ります。

絶望的ではなく、平和な孤独を楽しむ感覚です。

外の世界との折り合いをつけてくれていた、脳の中の小さなささやきも聞こえません。

(中略)

過去の記憶と未来の夢は霧散むさんしていきました。ひとりぼっちです。その瞬間は、リズムを刻む心臓の鼓動を除いてはなにもない、孤独な状態でした。

奇跡の脳-脳科学者の脳が壊れたとき- ジル・ボルト・テイラー
ゆみ

脳内の思考が無くなって初めて、自分の体そのもの、意識そのものに気づけます。

『ゾーン』で体験できることはこちらの記事にまとめていますので是非ご参照ください。

右脳がもたらす溢れ出す幸福感

テイラー博士は左脳の損傷により体の不自由さと痛みに苦しみながら、不思議と幸福感に満たされました。

私は込み上げる平和の感覚に満たされていきました。私を人生の細部に結びつけていた、いつものおしゃべりの代わりに、あたり一面の平穏な幸福感に包まれているような感じ。

奇跡の脳-脳科学者の脳が壊れたとき- ジル・ボルト・テイラー

私が瞑想中に体験する『ゾーン』では、温泉に入ったような『ほぇ~』と心の底からリラックスできるような感覚があります。誰も踏み入ることができない安全圏にいるような感じです。

そこでは、怒り、悲しみ、不安、興奮、過度なワクワクはありません。

静かな平和しかないのです。

感覚器官の感じ方の変化

右脳だけが感じる『今』

テイラー博士は脳卒中の混乱の中で、時間の感覚の違和感に気づきます。

絶え間なく支持を出してくれていた左脳の司令塔が沈黙してしまったので、外部の現実との結びつきを維持すべく、私は知覚を総動員しようと懸命になっていました。過去、現在、未来に分かれるはずの時系列の体験は、順序よく並ばずに、全部が孤立してしまっています。

言語と記憶を並べる機能が全くなくなり、これまでの人生から切り離されてしまった感じ。そして、認知像や概念の拡がりがないので、時間の感覚もありません。

奇跡の脳-脳科学者の脳が壊れたとき- ジル・ボルト・テイラー

瞑想で『今ここ』に集中することの大切さ、難しさはよく言われますが、『今ここ』にだけ集中することが右脳の働きだということが、この文章からわかります。

左脳はこれまでのデータをフル活用して、過去、未来、現在を忙しく行ったり来たり、回想したり妄想することが大好きなんです。

でも、右脳には、そのような機能は無く、単純に、『今ここに』人間のエネルギーが存在している事実だけしかありません。

そこに早い遅いも無ければ、急ぐ焦るもありません。

ゆみ

瞑想では、自分の属性と時間の感覚から意識的に距離を取ることで、健康的に感覚の自由を味わうことができます。

ヨガの『人間馬車説』

脳卒中を起こしたテイラー博士は、自分の手の指がくねくねと動くのを見て次のように驚きます。

生きてる!これって生きてるってことよね!

(中略)

ここで、こんなかたちで、意識のある心があって、このからだは生きるための乗り物。

ひとつの心を分け合う、数兆の細胞のカタマリ。それが今ここで、命として栄えてるってこと。

奇跡の脳-脳科学者の脳が壊れたとき- ジル・ボルト・テイラー

からだは乗り物。

ゆみ

この記載には本当に驚きました。

ヨガ哲学の講義を受けたことがあり、ウパニシャッドという紀元前1500年頃に編さんされた奥義書に『人間馬車説』と言われる考え方そのものだったのです。

『人間馬車説』とは人間の体と心を馬車にたとえた先人の叡智です。

  • 車主:真我(アートマン)
  • 馬車:肉体
  • 車輪:生気
  • 御者:理性
  • 手綱:感情
  • 馬:感覚器官

(注)本来の『人間馬車説』の馬は5頭の描写です

例えば・・・

  • 感情である手綱がギューッと引っ張られたら、胃がギュッとなり冷や汗が出る。
  • 御者が手綱を強く引きすぎることは自分を律しすぎることであり、疲弊してしまう。
  • 手綱がゆるすぎたら、様々な誘惑に惑わされて目的を見失う。抑制がなく堕落する。
  • 馬車が綺麗でも生きるエネルギー(車輪)が無ければ動けない

・・・といった考え方です。

テイラー博士の体験記を読み、その感覚がヨガ哲学限定の例え話ではないとわかりました。

紀元前1500-2000年にそのような悟りの境地に達していた人々がいたと思うと驚きです。

紀元前1500-2000年頃の日本は縄文時代ですよ!

まとめ

ジル・ボルト・テイラー博士は自身の脳卒中で左脳と右脳の機能の違い、そして右脳優位になった時の時間や空間認識、圧倒的な幸福感を体験しました。

その体験の描写は、瞑想時に左脳の自動思考が鎮まり、静かな幸福感や安心感を味わうものと非常に似ており、瞑想はスピリチュアルなコンセプトではなく、脳科学的にも理解することができることがわかりました。

ゆみ

この本は、脳の機能についてだけでなく、脳卒中サバイバーの体験記としても興味深い内容となっています。

外界からの働きかけに反応していないように見える患者も、実は全て“感じて”いるそうです。

言葉はわからなくても、接する人のエネルギーは感じ、その人が自分にネガティブなアプローチをしているのか、ポジティブなアプローチをしているのかは明確に感じたそうです。

私の祖母は20代の頃に自分の姉を癌で亡くしたのですが、最期の意識が無くなって命が尽きかけている時に「姉ちゃん!姉ちゃん!」と呼びかけたら、お姉さんは大粒の涙を流したそうです。祖母は「私が揺すったから、たまたま目に溜まった水分が出ただけでしょう。」と言っていましたが、この本を読み、きっと祖母の姉は祖母の愛を感じていたと思うようになりました。

ゆみ

瞑想に関するインスピレーションだけでなく、人間の脳や生命について色々と考えさせられる一冊でした。

ぜひ読んでみてください。

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