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鬱から始まった『幸せ』探し
鬱で自分を見失ってしまってから15年間、私はずっと『幸せとは?』を自問自答してきました。
答えが出せない苦しみの中、『幸せ』だと思っていた裕福さや地位や名声を得ても、幸せになれないと気づいた時、私は絶望しました。
そこから狂ったように『本当の幸せ』探しを始めたのです。
条件付き幸福感
私がずっと『幸せ』だと思い描いていたことには、条件が必要でした。
心から湧き上がる幸せとは違い、社会的立場を前提とした、思考による『幸せ』です。
ここでは、条件付き幸福感と呼ぶことにします。

条件付き幸福感の例を挙げてみます。
- 貯金が沢山あるから幸せ
- 収入が十分あるから幸せ
- 配偶者がいるから幸せ
- 健康だから幸せ
- 資格があるから幸せ
- 外見が標準的だから幸せ
- 高学歴だから幸せ
- スクールカーストの安全圏にいるから幸せ
- 住む家が立派だから幸せ
- 治安の良い場所に住んでいるから幸せ



え?普通じゃない?



実は、この『幸せ』は非常に壊れやすく、苦しみを生むんです。
条件付きの幸福は、『〇〇があれば』という条件が整う時にだけ、幸せを感じられるものです。
つまり、『〇〇』が無ければ、不幸なのです。
『勝ち組』の条件
幸せになれる条件を集めれば集めるほど、人生をイージーモードで送ることができるような気がしませんか?
人脈を作ったり、多くの人に支持されたり、学歴も地位も資産も“持っている”、勝ち組と呼ばれる人々がいますよね。
私は何十年も、『勝ち組』になれば幸せだと思っていました。
しかし、実際に裕福な夫と結婚して、副社長夫人という地位を得て『勝ち組』になったはずの私は、まっっったく幸せではなかったのです。
なぜなら、お金と地位以外に、幸せになるために必要な条件が無限にあったからです。
『〇〇があれば幸せ』は、裏をかえせば『〇〇が無ければ不幸』ということです。



理想の高級車を持っていない!
理想のダイヤモンドを持っていない!
理想のライフスタイルに到達していない!
理想のファッションに到達していない!
理想の嫁として振舞えていない!
理想の母親とは程遠い!
虚弱体質だから失格!
これは本当に苦しいです。
既に持っているものをカウントし、持っていないものをカウントすると、持っていないものの方が圧倒的に多いのですから、不足感が増して不幸せな気持ちになります。
条件つきの幸せに固執することは、非常に危うい価値観なのです。
『幸せの条件』は人との比較によるもの
- 貯金が沢山あるから幸せ
- 収入が十分あるから幸せ
- 配偶者がいるから幸せ
- 健康だから幸せ
- 資格があるから幸せ
- 外見が標準的だから幸せ
- 高学歴だから幸せ
- スクールカーストの安全圏にいるから幸せ
- 住む家が立派だから幸せ
- 治安の良い場所に住んでいるから幸せ
ある時、冒頭で挙げたこれらの条件は、全て人との比較により成り立っていることに気が付きました。
『あれ?もし無人島にいたら、私、ダイヤモンド必要かな?』と、ふと思ったのです。
答えはもちろん、『必要ない』でした。
無人島に漂着したら、ダイヤモンドは何も意味を成さないでしょう。
恥ずかしいお話ですが、夫からサプライズで貰った婚約指輪のダイヤモンドが小さいことがずっとモヤモヤと心に引っかかっていて、自分より大きいダイヤモンドを身に着けている人を見ると羨ましくて仕方が無かったのです。
結婚してからもずっと、大きなダイヤモンドの指輪が欲しくてたまりませんでした。



あの人もあの人も私より大きいダイヤを貰っているのに・・・
大きいダイヤモンドが手に入れば幸せなのに・・・
他人と自分の比較により、『幸せの条件』を決めていたのだとわかり、愕然としました。
私の中の不足感、そして不健康な物欲や見栄は、他人との比較による不安から生まれたものだったのです。
『幸せの条件』は千差万別
『幸せ』の条件は所属するコミュニティにより千差万別で、また、時代と共にコロコロと変わります。
私たちはその変化に合わせようと苦しみ、必死にもがいているのです。
私は結婚と当時に首都圏から地方に移住しました。
地元から新幹線と電車で7時間の距離です。
そこで直面したのは、人の違い、文化の違い、価値化の違い、習慣の違い、ライフスタイルの違い・・・
首都圏で賞賛されていたた私の言動は馴染みませんでした。
何をやっても空回り、人々のリアクションに何ひとつ手ごたえを感じられないのです。
首都圏で通用した、『好感度の良い条件』は地方では何一つ通用しなかったのです。
そこで、私が相対的な価値観の中に生きていたことに気が付きました。
他人の評価で自分の価値を決めていたことにも。
私の自己肯定感は打ち砕かれました。
厳密には、自己肯定感だと信じていたもの、ですが・・・
本当の幸せを見つける旅へ
以前の私は、『幸せになる条件』をひたすら集める日々でした。
お金をたくさん使って『勝ち組』のアイテムを鎧のように身にまとい、センスのあるジョークを良いタイミングで披露してウケを狙ったり、知識をひけらかして『自分は特別な人間だ』ということを目の前の人にわからせようとしたこともありました。
しかし、そのような言動には正解が無く、さらに、上を見れば上がいる状態です。
『どうだ!』と見せつけようとしても、周囲のリアクションが微妙であれば、『これじゃあまだ足りない』『なぜ認められなかったのだろう』『なぜ賞賛されなかったのだろう』という不安と不満が積み重なっていったのです。
ひたすら孤独で、友達もできませんでした。
当然ですよね。
鬱で自分を見失って15年、『幸せになりたい』『幸せって何』と飽きるほど悩んで苦しんで探し求めて、私が思う幸福感とは、『条件付き幸福』を得ることでも、『勝ち組』になることでもありませんでした。
また、特定の地域やコミュニティだけに通用する、『こうすればうまくいく』というコツや小手先のテクニックを習得して、他人の評価を得ることでもありませんでした。
そして、『素敵な人』を演じて賞賛を得ることでもありませんでした。



『条件付き幸福感』が本当の幸せではないと気づいた時に初めて、改めて私の『本当の幸せ探し』の度が始まりました。