心は存在しない
瞑想で『ゾーン』を体験してからというもの、私は「心」というものは存在しないと思うようになりました。
これまで「心」にさんざん振り回された私だからこそ、そう考えます。
私たちが「心」と信じてきたものは、過去の体験で蓄積してきたデータと、それを元に作られた幻想です。
瞑想をすればするほど、左脳がAIのような役割をしている実感があります。
よく「心の疲れ」という表現をしますが、医学的・科学的には「脳の疲れ」つまり脳疲労の一種だとされています。
無意識のタグづけ
例えば
「プレゼンテーションで緊張しすぎて頭が真っ白になってしまった!プレゼンテーションは大失敗だった。」・・・という経験があるとします。
その経験は左脳により言語化されます。
SNSでタグ付けをするように、感情やシチュエーション、人間関係などの要素を細かく意味づけします。
- プレゼンテーションは緊張
- プレゼンテーションは大抵失敗
- プレゼンテーションから逃げたい
- 人は自分のことを批判的に見る
- 緊張したら頭が真っ白になる
- プレゼン結果を上司に酷評された
- 自分はダメな人間だ
- 悲しい
- 苦しい
たった1回の経験で、たくさんのタグ付けを無意識に行っている状態です。
本来、この無意識に行っている左脳の動きは言語的分析や対策により、失敗を繰り返さず機能的に生きるためのものです。
しかし思考と認知のクセによって、単純なタグづけに必要以上に深みを持たせてしまうことがあります。
自分は悲劇の主人公で被害者であると思いこみ、最終的にハリウッド並みのスペクタクル映画にまで物語を膨らませてしまうこともあるでしょう。
問題は、あたかもそれが「本当の事実である」と誤解することです。
胸が苦しくなったり上司を憎んだりします。
ちょっと待ってください。
それって事実でしょうか?
私たちの脳はハードディスクに過ぎず、『心が揺さぶられる』と思っていることは、データから自動的に生成された予測パターンへの反応に過ぎないとしたら、どうでしょうか。
左脳はAI
何か問題を解決したい時にGoogle検索をしますよね。
しかし答えが見つからない時があります。
それは、Google上にあるデータ上には存在していないというだけで、解決策が存在しないというわけではないんです。
ChatGPTを試しに使ってみてください。
私は『夫と〇〇について喧嘩してしまいました。こうなってしまった原因は何でしょうか?』とChatGPTに聞いてみました。
すると5-6件のネット上の記事をまとめた模範解答が出され、そのどれもが過去の記事データから抽出された単なる「データ」であり「傾向」に過ぎなかったのです。

これって、人間の思考パターンと同じだ!!!と衝撃を受けました。



ちょっと何言ってるのかわからない



今は意味が分からなくても、瞑想をするとわかってきます。
瞑想をして左脳のおしゃべりが静かになるのを体験すると、わかります。
自動思考で生まれたほとんどの言葉とイメージは幻想です。
事実ではありません。
頭がしゃべっている言葉は、自分の考えではない
私たちは「自分の考え」として「自分」が考えを生み出していると思いがちですが、実際は違います。
過去に学習したデータから、適当な文脈をまとめなおしているだけなのです。



宝彩有菜さんの始めよう。瞑想を読んだ時に、私が瞑想で感じた左脳の機能は正しかったんだ!と確信が持てました。
自分の考えたような文章でも、実際は頭という機械が関連記憶データをまるでトランプ札をシャッフルするように高速でシャッフルして、それを適当に紡いでセンテンスにし、文章を組み立てています。
(中略)
頭はセンテンスを紡ぎ出す機械であって自分自身とは違います。
始めよう。瞑想 宝彩有菜
つまり頭の中でモヤモヤと考え続けて様々な想像が広がったり、過去の出来事をほじくりかえして意味づけをしようとすることは、近い将来に懸念されているAIの暴走を許すことと同じなのです。
「自分の考え」だと信じていることは、考え方や意味づけを変えればいくらでも物語を紡ぎ出すことができます。
瞑想を何度も練習していくと、左脳が暴走していることに気づけるようになります。
気づけたら一旦考えるのをやめ、気づけたらやめ、を繰り返せばよいのです。
自分を悩ませている考えが、実は自分の脳が生み出しているということに気づけたら、きっと生きやすくなるはずです。
私の被害妄想
私が会社員時代にうつ状態になった時は、「自宅まで上司が追いかけてくるのではないか」と本気で恐れていました。
上司が自宅のインターホンを押し、私が無視をすると自宅前の道路で「家の中にいるのわかってるんだからなー!!!」とわめきちらす、というシーンを細かく想像しました。
まるでそれが本当に実現したことのように、何度も何度も。
それほど、上司は私にとって何もかも破壊し、人格を否定することが生きがいの悪魔のように思えたのです。
実際には起こりえないことを想像して壮大な物語に仕立て上げるというのは私たちの左脳の機能です。
自分の低すぎる自己評価も、上司の悪魔も、私の左脳が生み出した設定で成り立つ不幸物語だったと気づきました。
マインドフルネスの「気づき」
スピード感もって高い完成度を求められる現代社会では、ストレスは避けられません。
予想していなかった不安、怒り、悲しみや絶望を経験することもあるでしょう。
その時の感情や自分の状態に気づくこと。
気づき続けること。
気づけたら、手放す。
それだけです!
- 上司に認められたい
- ちょっと準備が足りなかった
- 10分のプレゼンの予定が8分で終わった
- 冷や汗かいたわ
現状に気づいたら、気づきを評価しない。
ダメな人間だ、とか、あいつのせいで、とか。必要ない。
「気づき」は事実。
事実だけを見つめ続けると、自分を過小評価・過大評価しなくなります。
そのままの等身大の自分に「気づく」と不安、恐れ、怒り、悲しみが薄らぎますよ。
怒りのスペクタクル物語も生まれなくなります。



瞑想はその場しのぎの気分転換法ではありません。
一生、活用できる生きやすくなるヒントが沢山詰まっています。



